犬の体温は38.3〜38.7℃と言われます。
一度でも犬を抱いたことがある人なら、暖かい彼らを抱いて、とても可愛く、愛おしく思うでしょう。
そんな可愛い彼らが日本では年間5万頭以上殺処分されています。
日本中で毎日100頭以上の犬猫が殺処分されている。犬猫好きの人には正直直視したくない現実でしょう。
この問題を解決するために、多くの保健所の職員やボランティア団体の人が日々努力しています(そのおかげで殺処分数は減少傾向にあります)。
自分が動物愛護活動に関わるようになったきっかけは、殺処分される犬猫がとても可哀想だと思ったからです。動物愛護活動に関わる人は誰もがそう感じ、貴重な時間を割いてボランティアなどの活動をしているのではないかと思います。
ただ、自分は動物愛護活動は正しいことだと思って活動していません。
もちろん、犬猫が死なない環境を作ることは良いことなのは間違いありません。ですが、人間は家畜を沢山殺し、それを全部食べるならともかく沢山の廃棄が出ており、これは意味もなく牛や豚死んで行ってるとも捉えることができます。
犬や猫が殺処分されるのは許せないのに、牛や豚は良いのかというとそんな訳はないと思います(家畜は良いんだという考えの人もいるようですが、、)。
家畜でなくても、世界中には助けを求めている人間が沢山います。犬や猫を助けることに労力を使うくらいなら、人間を助けたらどうかと言われれば、論理的な反論は自分は全くできません。
ただ正直に「見知らぬ人間よりも、身近な犬猫を助けたいから」と答えると思います。
こういうと人でなしに聞こえるし、きっと人でなしなんでしょう。
ただ、犬や猫のように人間の勝手で産み育てられ、自分で不満を訴えることもできずに人間の都合で殺される動物たちがとても可哀想に感じます。
人間社会には、色々な解決しなければならない問題があります。
沢山の人が自分の経験や環境から、それぞれなんらかの問題を解決しようと活動しています。
それは、おそらくどれも大事で、優劣のつけられるものではありません。
そのような状況下で、自分の行動が正しい、と思うことはとても危険で、正しくない行動だと思います。
各人が正義を持つとそれがぶつかりあった場合に、争いになります(個人の喧嘩も、国家間の戦争も大抵どちらも自分が正しいと思っていますよね)。
争いというのは大抵無理やり相手を自分の正義に従う行動を取らせようとすることです。
例えば、野良猫に無計画に餌やりをする人に、その行動をやめさせようとした場合、それは間違っていると注意しても、大抵は上手くいきません。相手は、餌をあげないと猫が死んでしまうだろうとひたすら主張して、議論は平行線になります。そうではなく、相手には相手なりに信じているものがあり、それをどう折り合いをつけるかが大事です(この辺の事例はこの本を参照してください)。
動物愛護は正しくありません。ただ自分が嫌な状況を変えようとしているだけだと自覚することが大事だと思います。