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「目線を合わせる」勘違い

私がストレッチで四つん這いになると愛犬のテンションが上がり飛びかかってくる。

犬に対して目線を合わせてコミュニケーションを取ることは常識に近い知識だ。

また、飼い主のように身近な人が目線を合わせてくれると、「相手をしてくれるんだ!」と嬉しく思うに違いない。

 

ここでの’目線を合わせる’は文字通りの意味だが、慣用句としての「目線を合わせる」はとても難しい概念だと思う

「子供の目線になって考える」、「あいつは上から目線」などというが、具体的にどういう状態に対して使う言葉なのか説明できるだろうか。

 

私の勤めている会社ではCSR活動の一環として地元の小・中学生に会社の紹介をしている。企画委員の人たちは「子供たちの目線」で説明するために、①難しい言葉を使わない、②イラストなどを多用する、というようなルールを作っていた。もちろんそのこと自体は悪い取り組みではないが本質でもないと考えている。

 

例えば、同僚と会話している際に、相手が間違った文法を使ったり、外国の同僚が間違った単語の使い方をしていたからと言って、友情が芽生えないということがあるだろうか。自分の意図を分かり易く伝えるということは、コミュニケーションの本質ではない。

 

では「目線を合わせる」とはどういうことかというと、私は相手の主張や感性を理解し容認することだと思っている。

小学生相手に会社説明をする場合、彼らは会社の成り立ちや海外に事業所を持っていること、会社が急成長していることなどは全く興味がない。

製品がゲーム機やスマホなどに使われている話は少し興味を持つ。他にも未来の話にも注目する、将来的に車が自動運転になる、ドローンが街中を飛び回るようになるなどの未来には質問が多くなる。

一方で就活生などは、前者の話の方に興味があるだろう。

このように人によって興味を持つポイントは違い、相手の背景や興味を理解してコミュニケーションすることこそが「目線を合わせる」ことだと私は考えている。

 

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テーマの著者 Anders Norén