「デルちゃん、おやつ美味しい?」
『噛み応えがよいです』
「気に入った?」
『なかなかの美味です。僕のお気に入りリストに追加するです』
これは、ある日の自分とデルタ(愛犬)の会話である。
もちろん『』の内容は妄想であるが、自分の中でデルタ(愛犬)は1人称が”僕”(女の子なのに)で敬語を使えるすごいやつである。
愛犬に話しかける飼い主は多い、というか全ての飼い主が一度は話しかけたことがあるのではないだろうか。
この話しかけるという動作は、犬にはもちろん伝わらないが、話しかけている(注目している)ということは愛犬に伝わるだろう。
ただ、たまに本気で犬に話しかけているように見える飼い主がいる。
「おしっこはこっちでするの!」「なんでカーペット噛むの!?」「噛みつかないで!?」
一部の飼い主は、日本語で犬を躾けようとして、「なんでこんなに言っているのに分からないんだ」と怒り出すのである。
このような人々の行動は犬を擬人化していると言える。犬を自分達と同等と考えており、自分たちにできることがなぜできないんだと怒るのである。
これは冷静に考えるととても違和感がある。犬というのは人間とは違う種なので、人間の論理(言葉)は通用しない。例えば、植物や虫に本気で話しかけているような、そんな違和感がある。
犬は人間と近くにおり、確かに他の種に比べると賢いだろう。
しかし、あくまで犬は人間とは違う生き物であり、人間の基準、論理、言葉は通じないということを理解して接しないと、期待が裏切られたと感じて腹を立てる結果になってしまう。