デルタ(愛犬)の犬種はシェットランドシープドッグで、その名の通りイギリスのシェットランド島で生み出された犬種である。
ただ、デルタ(愛犬)は、もちろん生まれも育ちも日本である。
この場合デルタ(愛犬)は、日本犬だろうか、イギリス犬だろうか。
自分はスポーツを全く見ない。ただ、周りにスポーツの好きな人はたくさんいる。
スポーツを好きな人と、そうでない人の違いは、好きなチームがあるかどうかだと思う。
サッカーや野球なら特定のチームを応援するし、テニスやゴルフなら個人に注目する。
自分がスポーツをあまり見ないのは、そんな贔屓にするようなチームや個人がいないためだと思っている。
応援するチームを決める時に自分の地元を本拠地にしているチームを応援する人が多いが、それがイマイチ理解できない。
例えば、プレーがすごい選手がいるチームを応援する、チームの雰囲気が攻撃的だから好きなどの、プレーに関する特徴で贔屓のチームを決めるのならわかる。
ただ、どこに住んでいるというのは、違う場所に生まれたら、別のチームを応援していたということで、結局どこでも良いのかな?と思う。
どうも同じ国や地域に住んでいた、というだけでは注目する理由にならないと感じるのだが、どうなんだろうか?
同様のことが、ノーベル賞などのその他の分野にも言える。
日本人がノーベル賞受賞という報道をよく見るが、日本人が受賞したことがそんなに嬉しいものだろうか。
所属している大学などは知名度が上がるだろうか良いだろうが、個人が喜ぶ理由ではないように思う。
デルタ(愛犬)が、日本犬かイギリス犬ということもどうでも良い。
おそらく多くの飼い主が自分の犬がどこにルーツを持った犬種かということを気にしないだろう。
日本犬であることに自慢したらり、イギリス犬であることを卑下したりもしないだろう。
なぜ人間に対してだけ、生まれた場所により区別をするのだろうか。