デルタペットホテル開業研修卒業生のHP

”頭が良い”=”会話ができる”だと思っている

 

デルタ(愛犬)は、普段は私の足元にいるし、ご飯を食べていたりしても寄ってきて鼻で私の足を突く。

しかし、構って欲しいのかなと思い、撫でようとしたりすると、さっと身を翻して、距離をとる。

じゃあ、良いのかなと思って、元の態勢に戻ると、また鼻で突いてくる。

犬の距離感というのは独特で、デルタ(愛犬)のように、一定の距離を保つ子もいれば、ひたすら近づいてきて膝に乗ろうとしたり、抱っこをせがむ子もいる。

犬の相手は難しいなと思う。

だが、犬との距離感は、人間と比べてずっとわかりやすい。

犬は言葉を使えないが、構って欲しい時はそれなりの動作をするし、逆の場合はすぐに遠くへ行く。

 

人間の場合は、露骨に距離をとったり、嫌なことを態度で示すことは失礼だと見なされる。

かと言って、嫌いな人に対して良い顔をしようとすると、距離間を詰められすぎてストレスになる。

このような場合、露骨でない程度に微妙な仕草で距離が近いことを示したり、意図的に相手に関わらない環境を作ったりする。

しかし、これもあまりに奥ゆかしすぎると、周りから「もっと態度で示さなければダメだ」と注意されたいり、はっきり言わないなんて陰湿だと見なされる場合もある。

かように人間関係の複雑さに日々辛い思いをしている。

 

日本人は”頭が良い”ということはほぼ”勉強ができる”こととイコールだ。(海外の状況は知らない)

しかし、私は相手の距離感をしっかり測れ、その場の状況に適した会話の選択ができ、場を沸かせることができるような人。

たまにこのようにコミュニケーションに長けた人がおり、その人のことを心のそこから尊敬している。

有名な大学に入れ、難しい方程式を解けるよりも、ずっと人間関係の方が難しいと思っている。

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