犬はドッグランなどでは無邪気にはしゃぎ回る。
きゃんきゃん吠えながら、他の犬の周りをくるくると周り、体全体で楽しさを表現する。
人間が同じことをやったら恥ずかしいだろうが、犬は他の犬が自分をどう思っているかなど考えないのだろう。
人は犬よりは他人の目を気にして生きている。
頭の中で考えていることをそのまま表現したら、まともな人間関係は構築できないだろう。
人間は、集団で生活しなければ生きていけない種なので、他人に嫌われるということが、生死に直結する場合がある。
犬と違い、人間にとって他人の目を気にすることは生きて行く上で必要なのである。
一方で、他人の目が気になって思い通りに行動できないと悩んでいる人が多いように見受けられる。
「突然こんなことしたら変に思われる」「急に発言するのは恥ずかしい」「家族の目が気になって趣味を楽しめない」
などと他人の目を気にして行動できないという悩みを身の回りでもよく聞く。
しかし、これらの「他人の目」は大抵想像上の産物であることが多い。
これらの悩みを当事者から聞くと、大抵「誰もそんなこと思ってないよ」と言いたくなることがほとんだ。
本人にとっては、意を決した行動でも他人からしたら大した変化ではないという場合がとても多い。
これは、悩んでいる人が「他人の目」と認識しているのは実際は「自分の目」であるからだ。
他人の気持ちを理解できていると断言できる人がいるだろうか。
そもそも「他人の目」など、元来わかるはずはなく、自分が自分を目で自分を見た場合の感想しか人は考えられない。
自分の規定した行動規範からずれた行動をしたことを想像すると、想像上の他人に変に思われることを恐る。
「自分の目」を気にするかしないかは、当然自分次第である。