電車から風景を見るのが好きだ。
よく子供が電車から風景を見ているが、自分は大人になっても好きだ。
電車に乗ったときは、座席が空いていてもドア付近に立って風景を見ている。
新幹線は最高で、座った状態で何時間でも外を見ていられる。
風景を見ること自体が心地よいこともあるが、風景を見ながらぼーっとしていると、仕事や趣味、人生についての新たな発想を得られるときが多い。
仕事ならずっと停滞していた問題の解決法だったり、趣味ならこのブログに書く内容などだ。
なぜ風景を見ているときに発想が得られるのか。
風景を見ていて発想を得られるのは電車だけだ。車や飛行機ではこうはならない。
おそらく脳に程よい負担がかかることは心地よいのでないかと予想している。
風景を見るということは、わずかに脳に負担をかける。
流れる風景を漠然と視覚で処理するのは、脳が次から次へと新しいが重要でない情報をインプットしている状態だ。
車だと運転に脳の機能の大部分を取られるし、飛行機からの風景はあまり変化がないので脳に全く負担がかからないのだろう。
脳に軽い負担がかかっていると、いつもより脳の機能が活発になる感じがする。
その残りの部分で漠然と物事を考えていると、従来から悩んでいた問題を異なる視点で取り組める。
漠然な認識だが、電車から風景を見ているときに色々な発想を得られることは確である。
最近大人は(子供もか?)いつもスマホを見ていて外の風景に興味がないように見えるが、同じように感じている人はいないだろうか。