子供の頃テレビゲームが好きだった。
友達と遊ぶよりもゲームが好きで、学校が終わったら友達とも遊ばずに家でゲームをしていた。
子供時代の良い思い出の一つである。
最近はもっと面白いこと(犬)が見つかり、あまりゲームはしなくなった。
ネットの記事でテレビゲームに人生をかける人が特集されていた。
その人は、あるゲームに大量のお金と時間をつぎ込み、かなりそのゲームをやり込んでいた。
仕事もゲームがやりやすいものを選び、生活のあらゆることがゲーム中心だった。
本人がそのゲームに人生をかけていると公言しており、ゲーム内でランキング上位をキープしているのが快感だと話していた。
趣味は人それぞれであり、他人がとやかくいう筋合いではない。
テレビゲームも趣味や息抜きとしてやっているなら良い趣味だと思う。
だが個人的には、ゲームに人生をかけるのは危険が潜んでいると感じる。
それはゲームが廃れた時にどうするかということだ。
ランキング上位にいることに熱中しているということは、他人と比較して優位に立てることが目的なのだろう。
それ自体は特に珍しくない欲求だと思う、誰もだ他人よりも良くなりたい、他人から良く見られたいといった想いを持っている。
ただ、ゲームは流行り廃りがあるので、今やっているゲームが10年後もある確率は低いと思われる。
他のプレーヤーがいなくなれば、ランキングにも意味はなくなる。
もし単純にゲームが好きで、そのゲームだけできてれば良いという性格なら問題ないが、他者との比較でモチベーションを保っている場合は、ゲームをやる意味はあるだろうか。
普通のゲーマーならゲームをやめれば良いが(というか多分飽きて行いはず)、人生をかけたゲーマーは果たしてその環境から容易に抜け出せるだろうか?
人生で何か熱中できることを見つけることは重要である。
しかし、その人生をかけるものが、周囲との比較に起因するものの場合は、自分の意思とは関係なく、かけてきた時間(人生)が無駄になる可能性がある。
書いていて思ったが、これはテレビゲームに限った話ではないかもしれない。