テレビゲームは面白い
犬と遊ぶには飼い主側にも体力が求められる。
私の愛犬は、走るのが得意な犬種で、散歩で歩くだけでは運動したりないらしく、朝私が寝ていると「遊ぼう!」と言わんばかりに鼻を私の頭に押し付けてくる。
最近は、毎日ボールやおもちゃ一緒に遊びひたすら走らせるようにして遊ぶことで、朝の睡眠は確保できるようになってきた。
この遊びは自分も動かなければならないので体力を消費する。
休日などは、犬と遊ぶのに疲れたら、本を読んだり、勉強したりと座って行う作業をする。
最近久しぶりにテレビゲームを買ったが、近頃のゲームというのはグラフィックも良く、飽きさせない作りになっており、子供の時のように熱中してしまう。
テレビゲームを辞めた大人たち
テレビゲームは今でも子供の遊びというイメージがる(昔に比べてゲームをする大人は増えたとは思うが)。
大人になってゲームをやめた人に、やめた理由を聞くと「時間を奪われるから」「無駄だから」といった回答を聞く。
中には、「ゲームは面白いが、将来に何も残らないのでその時間を勉強したい」と言った人もいた。
ただこの言い分は本末転倒だと感じるのだがどうだろうか?
私は、人生の目的はおもしろおかしく生きることだと思っている。
もちろん自分の好きなことをするためにはお金が必要でお金を稼ぐためには仕事をしなければならない。
だからと言って、自分の好きなことを我慢してまで仕事を行う必要があるだろうか。
以前、こういう逸話?を見たことがある。
ある資産家がバカンスで南の島へ行った。
その島で、釣りをしている島民を見かけた。
資産家「その釣った魚をどうするのですか?」
島民「島の市場に持って行って、生活の足します」
資産家「勿体無い。ローンで漁船を買い、人を雇って漁をすれば、大きな稼ぎになるのに。」
島民「はあ。それで稼いだ後はどうするんですか?」
資産家「南の島で、のんびり釣りでもして過ごすかな」
ゲームをしない人は何を求めるのか?
自分は時間を忘れて夢中になれるようなものがあることは、なんであれ素晴らしいことだと思っている。
テレビゲームをやっていると子供の頃、親に叱られた経験を持っている人も少なくないだろう。
また、趣味をテレビゲームにすると社会的に共感を得られずらいことも認識している。
先入観や周囲からの評価で、自分のやりたいことを制限することはもったいないと感じる。
仕事をしていると、多くの人が目的と手段を取り違えていることがある。
手段にこだわるあまりに本来の目的から遠ざかってしまうのだ。
ゲームをしない人は、ゲームを辞めることで得た時間で、何をするのだろうか?