「隣の芝は青い」ということわざがあるように人は自分のものよりも他人のものがよく見える傾向にある。
犬に関してもそうだろうか?
他人のことはよくわからないが、自分は他人の犬が自分の犬よりも可愛いと思ったことはない。
自分の犬が一番可愛いと思っている。
よく考えると人間は自分の子供が一番可愛いというし、場合によっては隣の芝だから青く見えるとは限らないようだ。
人は他人の良いところをみる
そもそも隣の芝が青いと感じるのは、自分の芝に対して満足していない時に発生する感情だと思われる。
「自分の芝は青くもないし、ところどころ剥げている、それに比べて、、、」と思い隣の芝を見ると綺麗に見えてしまうだろう。
しかし、反対に隣の人から見た自分の芝は、虫も少なく、びっしりと生えており、向こうは向こうでこちらを羨んでいるかもしれない。
えてして人は自分の欠点を評価基準として、他人を推しはかる時がある。
自分は〇〇という欠点があるのに、あの人にはない、だからあの人は自分より良いのだ、と。
しかし、他人は他人で別の評価基準を持っているので、その人はまた他人を羨むことになるだろう。
自分の犬や子供は不満感が少ない
そうすると他人の犬や子供を見て、あの子の方が可愛いなと思うことはないだろう。
なぜなら、犬や子供はもともと可愛く、そこに不満感を持っている飼い主や親は少ない。
そのような状態で他人の犬や子供を見ても、同じように可愛いと思うくらいで、別に羨んだりはしない。
ただ、きっと外見とは別の点で羨むことはあるだろう。
あの子はおしっこがきちんとできていて良い、あまり吠えなくて良いなど、自分の犬が苦手なことを他人の犬ができると、羨ましいと思うのではないだろうか。
”羨ましい”と思ったらチャンスだ
もし、他人の行動を見て羨ましいと思ったら、それは自分のことを知るチャンスだ。
なぜなら、羨ましいという感情は自分が自分に対して不満を感じている証拠だからだ。
人は意外と自分のことがわからない。
なぜ、あの人が好きなのか、なぜ犬を飼うのか、なぜ山に登るのか。
他人に言葉で正確に伝えれられるだろうか。
趣味や好みは”なんとなく”の部分が多く、自分がなぜそれを好きなのか正確に把握できていない場合が多い。
これは嫌いや苦手といった感情についても同様だ。
なんとなく嫌い・苦手という物事は誰にでもあるだろう。
ここを明確にしてくれる感情が”羨ましい”という感情だと思う。
他人の物や行動を見て羨ましいと感じるのは、その点が自分が不満に思っているからだ。
自分の好き嫌いを明確にできると対処ができるようになる。
自分は登山や旅行に行くのが好きだ。そういえば旅行だと展望台によく行っている。自分は高いところをが好きなのかもしれない、じゃあスカイダイビングやセスナでの旅行をしてみよう、などと自分の好みを明確にすることで、新たな趣味ややりがいを見つけられるかもしれない。
逆にあの人とあの人は嫌いだ、じゃあその共通点は、、、と考えると自分の嫌いな人の傾向が見えてきて、苦手な人を事前に避けることができるかもしれない。
”羨ましい”という感情をきっかけに自分のことを知ろう。