影絵が好きだ。
人や風景、動物などのモチーフを黒塗りの影だけで表現する技法は不思議な魅力があり、ネットや街を歩いて影絵を見つけるとつい見入ってしまう。
輪郭をなぞっただけの絵は、普通の絵に比べて圧倒的に情報量が少ないのに、なぜ魅力に感じるのだろうか。
影絵は小説のようなもの?
普通の絵と影絵の差というのは、映像作品と小説の違いに似ている。
映像作品は、動画や音で情報を伝える。一方で、小説は文字だけなので、圧倒的に情報が少ない。
しかし、世の中には小説を読む人が沢山いる。
また小説が映像化したりすると「小説の方がよかった」という感想を聞く場合もある。
同じ作品でも情報量の少ない小説の方が、良いと感じる理由はなんだろうか。
それは、人間に想像力があることが理由だと考える。
人間は、見えないもの、足りない情報を想像で補う。
暗闇の中にお化けを想像したり、足りない情報を想像で補完する。
文字だけでは、人物の外見や詳細な背景までは描写しきれない。
描写仕切れない部分は人間は、意識的にしろ無意識的にしろ補完してしまう。
小説などでは、自分のイメージと映像作品の差があると、そこに違和感を感じる。
人間の想像というのは、大抵自分の理想を反映するので、映像化したものは自分の想像に比べてどうしても劣ってしまうので、「小説の方がよかった」という感想が生じる場合がある。
想像力は素晴らしい
想像する能力というのは、人間独自のものでないか。
詳しいことは知らないが、犬を見ていると、彼らに想像力はあまりないように思う。
例えば、飼い主が犬の目の前で毛布などの裏に隠れて、毛布をとると同時に別の場所に隠れて、犬が戸惑う様子を写した動画が流行っていた。
人間なら、いるはずのところにいなければ、「どこかに隠れたな」と想像するだろう。
犬はそれができないから、こんな簡単なトリックで戸惑ってしまう。
人間の想像する能力というのは、他の動物にはない長所といえよう。
理想を想像する
このように想像力は、人間の貴重な能力で一つであるにもかかわらずあまり意図的にこの能力を伸ばそうとする人はいないように思う。
自分は、この想像力はもっと伸ばす努力をすべきだと思っている。
特に重要なことは、「理想を想像」することだ。
大人の多くは、色々なことに不満を持っている。
家族に不満、お金がないことが不満、社会が不満などなど。
多くの人は、これらの問題に対処しようとするが、一つの不満を解消しても、他に無数の不満があるのでキリがない。
この無限に続く不満を改善する方法は、大局を見ることである。
目の前の不満を処理しているだけだと、ゴールがわからないマラソンをしているようなもので、とにかく辛い。
一方で、この不満を解決したら、ゴールの半分まできた、と知ることができれば精神的に楽になる。
このゴールというのが理想の状態だ。
人間の夢というのは、大雑把にいうと人生を楽しく生きることだと思う。
人によって、楽しみが仕事であったり、趣味であったり、恋愛であったりするが、「楽しく生きる」ことが目的だと言われれば、否定する人は少ないだろう。
だから、自分が「楽しく生きている」状態をしっかりと想像することが重要なのだ。
例えば、自分は働かずに生きることが、理想の人生の1条件だ。
定年になれば、この夢は叶うのだが、できればもう少し早く夢を叶えたい。
それには、お金が必要だ。
自分がこういう生活をするには、いくらのお金が必要かもだいたいわかる。
そこまで分かれば、どれくらいお金を稼げば良いかという目標ができる。
「お金がない」という不満は誰もが持っていると思うが、このように具体的にいくらあればいいか想像したことはあるだろうか?
具体的な金額を想像しなければ、とにかく多くお金があれば良いと考えがちで、それはゴールのないマラソンをしていることと同じである。
理想を想像することで、人間は目標を定められ、行動を起こすことができる。