この問題はジレンマを抱えている
という文章を本やネットでよく見るが、これはわざわざ書くほどのことでないなと思う。
ジレンマとは相反する二つの事柄で悩むことで、身近な言葉でいえば板挟みの状態だ。
自分が関わっているペットの愛護活動では、捨てられた犬猫のために良い飼い主を探そうとすると引き取り基準は上がってしまう。
一方で、引き取り基準が上がることで、引き取れる人は少なくなり、団体から犬猫を引き取れないので結局ペットショップで買い、その犬猫が捨てられるという悪循環になり、基準を上げるべきか下げるべきかのジレンマに悩まされる。
ただ、これは逆にジレンマがあるからこそ問題になると言える。
例えば、日本にペットショップもなく保護団体からしか犬猫がもらえないのであれば、どれだけ引き取り基準をあげても、それで捨て犬・捨て猫が増えることはない。団体が考える最適な引き取り基準を勝手に決めれば良い。
この場合はジレンマが生じず、保護団体が悩むことはなくなる。
こう考えるとそもそもジレンマがない場合は、問題にすらならないとも言える。
ジレンマは身近にたくさんある
気づかないだけでジレンマというのは身の回りにたくさんある。
例えば、欲しいものがあるが貯金が少ない、という状況もジレンマだ。
欲しいものを買わなければお金が減ることはないが、欲望は満たせない。逆に欲しいものを買えばお金が減るが、欲望が満たせる。
会社などでも、性能を上げるかコストを上げるか、社員の給料を上げるか労務費を下げるか、お菓子を食べるか食べないか、、、
身の回りにはたくさんのジレンマはある。
ジレンマの対処が仕事
さて問題にはジレンマが付きものだと書いたが、これはつまり仕事とはジレンマの対処だということがわかる。
仕事というのは、基本的に世の中の問題を解決して、利益を得る行動なので、必ずジレンマがつきまとう。
コストと利益の相反性や、意見の食い違い、多くの利益を得たい売り手と安く買いたい買い手。
ジレンマがあるからこそ問題になり、それをどう対処するかが仕事になる。
上司から違うことを言われて、、、
開発をお金をかける提案ばかりしてくる、経理は予算の削減ばかり言ってくる、、、
このような問題で愚痴を言っているようでは、先が思いやられる。
どんな業種、どんな国でもこの種の問題がある。