会社の後輩が人生について悩んでいて自分が相談にのる機会があった。
彼は、自分に話を聞く前に数人の先輩に話を聞いており、ある2人の先輩から異なるアドバイスを受けて「どっちが正解なんですかね?」と聞いてきた。
この後輩はまだ社会人になって間もなかったので、早いうちから人生に悩みを持っていて感心だとは思うが、正解を外に探す傾向にあることが気になった。
正解はない
よく社会には学校と違い正解がないと言われるが、その通りだ。
これは改めて指摘するまでもない。
理系の分野だと正解があるように思われる場合もあるが、科学の世界でもこれまで正解だと思われていた理論に間違いが発見されることなど日常茶飯事だ。
正解はある
さて社会に正解がないことは明らかだが人生の正解は、実はある。
自分の人生を良くしてくれるものが正解だ。
人はそれぞれ生きる目的を持っており、その目的達成を助けてくれるものは正解といえる。
前述した後輩は、自分に意見を求めるのでなく、どちらのアドバイスが自分の人生をよくしてくれるで正解を判断すれば良い。
自分が正解と思ったものを正解にすれば良い。
正解を外に探す人
彼のように正解を外に探す人は多いと感じる。
いやむしろほとんどの人が正解などないと言いながら、正解を必死探しているように思える。
原発は安全なのか安全でないのか、カジノを作るべきか作らないべきか、サマータイムを導入すべきかすべきでないか。
これらのことは、どちらが正解と言えるものではない。
それにもかかわらず、「はっきりしろ」と怒る人がいる。
彼らは、それが正解かどうか自分で判断できず、判断を外に任せている。
判断を外に任せる人は、周囲に流されやすい。
つまり誰かが正解を保証してくれれば、簡単にそれを信じてしまう。
おそらく会社員などの組織に組み込めば良く働くだろう。
別に避難しているわけではない。
彼らは何かを判断するという労力を外注しているわけだから、きっと自分で調べたり勉強するという労力が必要ない。
それは選択の一つだと思う。
動物愛護の正解
自分は動物の愛護活動をしているが、これも愛護活動が正解だと思ってやっているわけではない。
むしろ、世界には貧困にあえぐ人たちがいるにも関わらず、動物を優先して助けようとするのは人道的にはどうなのだ、と思っている。
ただ、自分は犬や猫が好きで、立場的に弱者である彼らを助けたいと強く思い、正直に言って恵まれない人間よりも動物を助けたいと感じている。
これを避難する人もいるだろうが、これは自分の中の正解なのである。
自分の正解をもつ
自分の正解をもつと、多くのストレスから解放される。
多くの人は、人の意見に惑わされるということがあるが、自分の正解をもつ人は自分の正解で、他人を判断するので迷うことがない。
批難されても気にしないし、意見が違う人とは話さなければ良いだけだ。
人間関係でストレスを抱えている人の多くは、この自分の正解を持っていないことが原因のように思える。