犬を飼っていると、「そうだ、京都に行こう」みたいな感じで出かけることはできない。
知り合いに世話を頼んだり、ペットホテルを予約したりして旅行中の愛犬の世話をどこかに依頼しなけばならない。
このことは理解して犬を飼い始めたので、今更不満を言うつもりはない。
ただ、ペットを飼う際に欲しいサービスのアンケートをとると「旅行中や外出時の世話代行サービス」がダントツトップである。
また、犬を飼っていないけれど飼いたいと思っている人に、なぜ犬を飼わないか聞くと「十分な世話ができないから」という回答が多い。
彼らは自分のわがままだけでなく、犬のことを本当に考える素晴らしい人だと思う。
だからこそ、彼らのような人々が飼い主になれないことはもったいないと感じる。
ペットホテルやペットシッターは?
「旅行中や外出時の世話代行サービス」が飼い主に求められているらしいが、これらのサービスは存在する。
ペットサロンや動物病院ではペットホテルを大抵営業しているし、ペットシッターなどのサービスもある。
これらのサービスがあるにも関わらず、なぜ外出時の世話代行が求められているのだろうか?
使いづらい
これは自分の経験からの想像だが、おそらく現状これらのサービスが単純に使いづらいことが原因であると思われる。
例えば、ペットホテルは基本的に営業時間内にペットをホテルにつれていかなければならない。
ペットホテルの営業時間は大抵10時からなので、「今日は仕事で遅くなるから夜まで預かって欲しい」といったニーズには答えられない。
旅行前にわざわざ犬をホテルにつれて行かなければならないし、帰りも愛犬を迎えに行くために早く帰ってこなければならない。
これらの問題はペットシッターを頼めば解決するが、他人を家に入れる習慣のない日本人には敷居が高いのではないか。
日本で流行らないペットシッター
海外ドラマなどを見ていると、ベビーシッターやハウスメイドといった業種の人を見かける。
ペットシッターも、作品内で何度か見たことがあり、海外(主にアメリカだが)ではこれらの職業が盛んなのだろう。
自分はアメリカ人というのは、プライベート空間を大事にし、見知らぬ他人を簡単には信頼しないイメージがあった。
逆に日本人は、見知らぬ人でも親切にし、和を重んじる人種だと捉えてきたが、ペットシッターやベビシッターの普及率を見るとむしろアメリカ人の方が、他人を信頼しているのではないかと思える。
DogHuggyは流行るのか?
日本人が他人に対して排他的になったのは、最近のことなのだろうか?
昔の人というのは、家に鍵をかけず、近所の家に庭から入り、犬の世話も旅行中は近隣の住民に頼んでいたという。
一方、最近はマンションの隣の人の顔もわからず、物理的な距離が近いため、むしろ心の距離は離れてしまうのか?
日本人は本質的には和を重んじるが、最近の生活環境の変化が、排他的な日本人を作ってしまったのか。
この答えがDogHuggyという新しいペットビジネスの行方で明らかになるかもしれない。
DogHuggyはペットに関するシェアリングエコノミーを実現しようとしている。
ぺットを世話できるシッターと外出時にペットの世話して欲しい飼い主をマッチングするサービスだ。
マッチングが成立したら、ペットをシッターに預けに行く。
マッチングの際には事前面談を行うらしいが、他人に大切なペットを預けることになることに変わりなく。
需要者からすると、従来のペットシッターと同様のサービスと言えるだろう。
メリットは、シェアサービスの精神が根づけば、シッターの数が爆発的に増え、思いつきの旅行や急な出張時にも安心して出かけることができるようになる。
ペット飼育に関するもっとも大きな悩みを解決できる可能性がある。