コミュ力が求められる社会
近年、会社は社員に対してコミュ力を求めている。
これに関して「実力よりコミュ力を求めるのか」「大学での努力を無駄にするのか」など否定的な意見も聞かれるが、私は雇用者と被雇用者が想定しているコミュ力に違いがあるように感じている。
学生などの被雇用者はコミュ力が高い人というと、飲み会によく参加して、友達が多く、いつも遊んでいるイメージがある。
一方で、雇用者側はコミュ力とは本来の意味である”伝達力”があるかどうかを重視している。
人間社会の科学技術が高度化するに従って、一人で何かをなし得ることは難しくなってきた。
数百年前であれば、レオナルドダヴィンチやニュートンなど、個人が偉業を成し遂げる例も少なくはなかった。
しかし、現代は何かのプロジェクトを進めようとすると多くの人が集まり協力する必要がある。
人が集まって一つの目的に対して行動する集団ではお互いの意思疎通が必須になってくる。
たとえ高い技術を持っていたとしても、それを他人に伝えられなければ意味がない。
また、周囲と協調した行動を取らないと全体の効率が下がるので、集団の中では扱いづらい。
現代社会で会社が社員にコミュ力を求めるのは、仕方がないこのなのだ。
犬は最強のコミュ力を持っている
犬の祖先はオオカミであることは有名だ。
ブライアン・ヘア&ヴァネッサ・ウッズ共著「あなたの犬は「天才」だ」によると。
人間に対して友好的なオオカミが現代の犬になったとされている。
つまり現代の犬というは多種族とのコミュニケーション能力が優れているのである。
同著には、犬は人間のジェスチャーを理解する能力がとても高いことが紹介されている。
人間以外の知能の高い動物にはチンパンジーや猿が挙げられるが、人間のジェスチャーを理解する能力に限れば、犬はチンパンジーよりも優れている。
犬は人間だけでなく、多種族に対しても高いコミュニケーション能力をもつ。
犬と猫や鳥などが中よさそうにしている動画などがネットではよく見る。
仲が悪い代名詞である犬と猿に関しても、私はテレビなどで彼らが仲よさそうにしている姿をみたことがある。
犬のコミュ力
機会があったらドッグランなどで初めて会う犬同士の様子を観察してみよう。
彼らは初対面の相手にどのように接しているだろうか?
初めて犬同士が会う場合、お互い相手を気にしつつ、ゆっくりと近く。
決していきなり飛びかかったり、遊びに誘ったりはしない。
近づいた犬同士は、互いに匂いを嗅ぎ合う。はじめは正面から、次に体やお尻を嗅ぎ合う。
気が合いそうなら片方が、伸びのポーズをしたり、ぴょんぴょん跳ねたりして遊びに誘う。同調したらお互いにじゃれたり追いかけっこをしたりする。
ちなみに私の愛犬は引っ込み思案で、あまり犬同士で遊べない。
ドッグランにいくとお誘いは受けるが、あまり乗り気でない。
そういう犬に対して、しつこく遊びに誘うような犬はいない。
2,3回遊びに誘ってものってこない場合、すぐに興味を失ってしまう。
ドライなようにも見えるのなら、「遊びたくないのなら良いですよ」と相手を尊重しているとも言える。
他にも犬は、他者と様々な方法でコミュニケーションを取る術を持っている。
鳴き声や、ボディランゲージ、マーキングなど様々な手法で他者と意思疎通を取ろうとする。
彼らはとてもコミュニケーション能力が優れているのだ。
余談だが、犬の咬傷事故というのは、人間のコミュ力のなさが原因の場合が多い。
犬は嫌なことがあった時、イヤがる→逃げる→唸る→吠える→噛み付く、という段階を経る。
噛み付くまでの前段階の意図を理解せずに、犬を構うため咬傷事故が発生するケースが多い。
犬のコミュ力を学ぶ
犬のコミュニケーション方法は人間にも適用できる。
例えば、犬はイヤなことがあった時に、段階を経てより攻撃的になる。
このことは、人とのコミュニケーションで我慢することがマイナスになることを示している。
日本人はよくNOと言えないと言われるが、正しく人と付き合いたい場合は、きちんと意志を表明する必要がある。
いきなり「嫌だ」「やりたくない」と表明するわけでなく、嫌そうな雰囲気を出すなど相手に「もしかしたら嫌なのか?」と思わせることが大事だ。
そしてそれでも嫌なことをしてくるようなら、よりはっきりした言葉で伝えれば良い。
いきなり拒絶されると、誰でも嫌な気分になるし敵愾心のようなものが働いてしまう。
一方で、多くの人は基本的に相手の嫌がることをしたいとは思っていない。
犬の段階的な意志表明のできている人は一体どれだけいるだろうか?
人間の祖先も集団としての協力したことが、自分たちよりも力が強いネアンデルタール人に勝ったことの要因だと考えられている。
つまり人間も種としては犬と同様にコミュニケーション能力が高いはずなのである。
私たちは他の種と比べてコミュ力が高いから生き残った。コミュ力の高さは人間のもっとも重要な能力の一つであり、我々がコミュ力を求められるのは必然なのである。
自分たちの歴史、そして身近な犬からコミュ力を学び直してみよう。